琵琶湖近辺ぐるっと散策旅 その4 多賀大社と織田信長の安土城跡を散策してみたよ
その3はこちらからどうぞ ↑
今日は11月11日になります。
昨日の彦根駅からはそう遠くないエリアに近江八幡があり、そこに宿を取っています。
彦根もまだ城しか見てませんし、近江八幡までの間には、今回の旅の一番のメインである織田信長の安土城跡があったり、近江八幡も見たいのです。
織田信長という人間がなんで安土に城を作ろうと思ったのか。
今の状態は?
ここら辺に興味があるんですよね~。
ちょっとその前に朝ごはん代わりに有名な和菓子を食べます。
彦根でも思ったのですが、西の和っぽいのはなんかみんな可愛く見えるんだよな~。
なんでも可愛く見える 笑
多賀神社はお多賀さんと呼ばれているんだそうな。
こういうのも関東以北はあまりないよね~。
実に立派な所でした。
七五三の小さなお姫様が今日はたくさんいましたね 笑
めっちゃ微笑ましかったです。
境内には縁起物の寿命そばがあったので食べてみます。
縁起物は全く信じていないのでどうでも良いのですが、昨日の彦根のうどんがあんなにもすごい出汁だったので、蕎麦も食べて見たいなと。
やっぱり出汁のインパクトがすごいですね~。
本当に関東以北にはこういう出汁はないね。
黒いのは海苔です。
さて安土城跡です。
現在はお寺さんが管理しているようですね。
石段の状態がすごくないですか??
信長が光秀に殺されたのは1582年で、その後に城は焼失してますが、1940年になってやっと発掘されたんだそうです。
昭和15年まで358年?ず~っとほったらかしだったんですねー。
なのでほとんど昔のままなんだとか。
結構、衝撃的事実でした 笑
こんなにも有名で知られた人間の城なのに。
でも、この時は信じられないと思いましたが、この後に琵琶湖周りを歩いて見てわかりました。
信長、浅井長政、朝倉氏、明智光秀、琵琶湖周りの覇権争いで滅ぼされた人らの城って、その後ずっと野ざらしにされているんですね。
だから現代でも石垣や区画割が綺麗に残っているんです。
あえてそうしたのか、単に最初は琵琶湖周りの覇権争いが、徐々に京都大阪へ移って行ったので、琵琶湖周りなどどうでも良いからほったらかしだったのかはわかりませんが。
無残ですね。
そういうもんなんだなー。
安土城跡はとても巨大でした。
勿体ないくらい状態も良く、復元したらいいのにと思うのですが、形など謎が多すぎるんでしょうね。
この先、解明される事もたぶんないから、このままなんだろうな。
その4はここで一区切りにします。
続きは近江八幡を歩いた事を書こうと思います。
浦島太郎が歩いた先々に、笑顔と幸せと励ましの花が咲きほこります様に。
今日の旅先で出会った全ての巡り合せに感謝。
一日一日を大切に。
それではまた。