北海道一周旅 12日目 その1 羅臼からお勧めされた『野付半島』を経由して根室に向かってみたよ
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今日は9月27日です。
北海道一周も12日目となり、根室市に行くとちょうど北海道の上はぐるっとして来た事になります。
残るは底辺部と内陸部をどうするかという感じです。
旅の先々で今年はコロナ控えも落ち着いたせいか、例年よりたくさんのキャンピングカーやバイクが来ているそうで、帰りのフェリーは抑えた方が良いよって言われることが多く、7日には仙台にいる必要があるので10月5日出航のフェリーで仙台に帰る事にしました。
なので残るは今日を含めて残りは9日間ですね。
一周と内陸部を回るには十分な時間がありそうです。
本日は昨日急遽止めて頂いた羅臼町のきくや旅館さんを出発し、最終的には根室市を目指します。
朝もやが強く、残念ながら朝日は眺められませんでした 笑
勿体なかったなぁ~!!
部屋からはこのように見えます。
海が目の前で波の音を聞きながら眠れました。
大広間でご飯を頂きます。
長期滞在の方も含めて何組かいらっしゃいました。
今朝も女性が3人とかで切り盛りなさってますので、女性が多い宿の様です。
男性が多い宿と女性が多い宿って、明確に違いが出ますよね。
きっと『整理の概念』の根本が違うんだろうなと思っています。
男性は多分『片付け』、女性は『整える』なんじゃないかなと。
そこに差が出て、女性が多い所は建物がどんなに年式を感じても、内部は本当に綺麗です。
さてご飯を頂きましょう。
やっぱり白米がとても美味しいのです。
つぶがしっかりしてて美味しい。
思い違いでは無かったと再認識 笑
出発する時にずーっと海岸線沿いを一周して来た事など色々女将さんとお話し、北方領土があんな近くに見える事について色々伺うと、『たった28㎞とかの距離なんですもの日本の領土ですよねぇ』と仰ってました。
敗戦を受け入れてから彼らは攻めてきたんです。僕も日本の領土と思います。
出かける前に写真をお願いすると、苦手と言いながらも応じて下さいました。
ここでお別れして荷物を積んでいると、おかみさんが戻ってきてくれて『これおやつ!頑張ってね!』と言ってこちらを頂きました。
重ね重ね本当に有難う御座いました。
館内にはあれだけご主人の写真や野球のグッズがありましたが、御主人は一度も見なかったので、もういらっしゃらないのかも知れませんね。
だとしたら寂しいだろうな。
女将さんいつまでもお元気で。
きっとここをずっと忘れないと思います。
とても過ごしやすい素敵なお宿でした。
羅臼町に行かれた際には本当にお勧めです。
さて出発です。
僕も能取岬で出会った4人組に言われる前に、Googleマップで眺めていて『一体どういう場所なんだろう』と思っていたので行くのは楽しみな場所です。
下の写真みたいな感じなんですよ。
オホーツク海の中にびょーんと枝線のように伸びている場所があるのです。
ここに向かってみたいのです。
果たしてどんな景色なのか。
これです。
日本にこんなエリアがあると知ってました?
地図の通り、左右が海になるんです。
バイカーさんがたくさんいるのかな?と思ったらほとんどいません。
これが理由なのかな?と思いました。
だいぶ砂利道ですね・・・。
正直、車でもちょっとなのでバイカーさんはこれを嫌うのかな。
竜神崎です。
小さな灯台があるのみです。
野鳥観察部屋です。
今日も巨大なレンズを付けたおじいちゃん達が何名か見えました。
時期が来るとたくさんの野鳥がくるのでしょうね。
天気が良かったら自転車とかだと楽しいのかもしれません。
たくさんいそうだなと思ってきたのですが、この日はバイカーはほとんどいませんでした。
この先に野付半島の先があるのですが・・・
車はここまでしか入れなくて、あとはかなり歩かないと先まで行けません。
僕も最初は歩いたのですが、もう先がさっぱり見えないので諦めて戻りました。
鳥に配慮しての事なのか遠すぎでした。
上の写真、フツーに鹿がいるのに気づきましたか? 笑
こんな風に野良ネコみたいに普通にいます 笑
来た道を戻って、道の駅のような場所があったので行って見ます。
野付半島 ネイチャーセンターという施設がありました。
道の駅みたいなものなのかな?
羅臼町を過ぎた辺りから、この署名活動が頻繁に目に入るようになりました。
僕はすべて書きます。
あそこは日本の領土ですから。
この前には綺麗な海が。
今日中に根室市と納沙布岬に行き、そちらに時間を割きたいです。
天気も悪いんですね。
よって先に進むことにしました。
行くときは気づかなかったのですが、帰りに歴史好きな僕には信じられない旗印が目に入りました。
これは知らない人が多いと思います。
なんと、北海道の野付半島に今の福島県会津若松市の会津藩の旗印がありました。
幕末に会津藩が、京都の今の警察的な京都守護職についた時に、会津藩は蝦夷の開拓とロシアの進出防ぐために標津、斜里、紋別を領地として譲渡されたのだそうです。
これはちょっと知らなかったですねー。
全然知らなかった!
かなり驚きました。
そうなんだねぇ・・・勉強になりました。
そんな勉強になった会津藩士の墓でした。
途中銅像がたくさんある道の駅があったので、『なんだろう?』と戻ってみます。
道の駅 おだいとうです。
叫びの像です。
やはりこの一帯はずっとこういう事なのだろうと改めて認識しました。
道の駅でもこのようなメッセージが多いのですね。
本州の現在の『道の駅』を想像していると、だいぶ違った印象になりますね。
でもその土地にある道の駅ってこういう方が良い気がします。
世界遺産になったからと、街と不釣り合いな程オシャレな道の駅を作っている方が僕はどうも・・・。
まっすぐ南下していき、今度は走古丹先端を目指します。
ここもバイカーさんがいても良さそうなんだけどなぁ・・・と思いつつ進みますが全然でした。
行って見てわかりましたが、ここも一番先はずっとずっと『砂利道』が続きます。
だからバイカーさんは来ないのかも知れません。
こっちは車でもちょっと嫌な砂利道でしたので、バイクや自転車は引いて歩くレベルかも?
一応、先端へ。
小さな子キツネが一匹だけいました 笑
見えますか?
特に看板もなにもありません。
天気も悪いのと虫がすごいので早々に戻ろうかなと。
何もないのが良いのかな?
僕はちょっと寂しくなりましたね 笑
その後、一台車が来たのですが、降りてきて僕の近くに来て海を見ながら無言でパン?を食っているので、ちょっと気味が悪くなって早々に帰りました 笑
それでは根室市を目指します。
やはり羅臼町より先は少し重い空気ですね。
根室市が一番になるのでしょうけども。
以上、同じ北海道でもこの地域一帯の独特な空気が想像以上な事に言葉を失う浦島太郎でした。
浦島太郎が歩く先々に、笑顔と幸せと励ましの花が咲きほこりますように。
そして今日の旅先で出会った全ての巡り合せに感謝。
一日一日を大切に。
それではまた。
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